1962年・・・
3月生まれ
1984年・・・
日本大学生産工学部建築工学科卒業(神谷宏治研究室)
1988年・・・
日本大学理工学部大学院建築学修士課程修了(関沢勝一研究室)
株式会社環建築設計事務所/株式会社読売新聞社を経て
1996年・・・
有限会社佐々木善樹建築研究室 設立、現在に至る
2008年・・・
オフィスを日本橋大伝馬町に移すと共にデザイナーズユニットHelmets-LABO結成
2011年4月・・・
日本大学生産工学部創生デザイン学科にて非常勤講師を努める
古いカメラにモノクロフィルムを入れて撮るのが好きです。オフィスに暗室をつくってしまいました。夜な夜な現像+プリントをしています。
・・・音楽・・・
学生時代に24回ローンで買ったアコースティックギター、マーチンD-28は健在です。時折オフィスに気の置けないお客様を招いてライブをやります。
僕とライカ
もう10年くらい前になると思う。僕のオフィスがまだ原宿にあった頃、このライカは僕のものとなった。独立してまだそんなに経っていなかったが何となく大きな仕事もあって毎日が懸命だった頃だ。僕のオフィスはちょうどラフォーレ原宿の裏辺りにあったため原宿駅から竹下通りに入りブラームスの小路を抜けるのが毎朝の通勤路となっていた。そのブラームスの小路に入るすぐ手前の所に小さなカメラ屋さんがあった。父子二人の小さなお店で、路に面してショーケースがあった。いつもピカピカに磨かれたケースの中に、不思議な存在感を放つ黒や銀のいくつものカメラが並んでいた。どれも高価な値がついていたが同じものが10日と置いてある事はなかった。
僕は毎朝そのショーケースを眺めるのが日課だった。そんなある日、いつものようにショーケースを眺めているとガラスの向こう側にいる店主と目が合った。店主は場都が悪そうにしている僕をよそに店の中から顔を出して中へ入るように促した。店は3帖くらいしか無かったが、そこには僕が今まで見た事も無いカメラが所狭しと並んでいた。今のようにデジカメのある時代では無かったが、それでもフィルムカメラの将来が暗い事は何となく解っていた頃だ。僕はその頃、コンタックスG2にツァイスのレンズを使っていた。カチッとしたいい写真が撮れた。店主に見せると「いいカメラだね」と一本調子な応えが帰ってきた。その店には中古カメラしか置いていない事に気づくまでそんなに時間はかからなかった。店主に訪ねると「いいなと思うカメラを集めているだけだよ」と言った。僕のG2は置いてなかった。僕は一つのカメラに目をやった。文字の所が傷だらけだった。店主は察したように言った。
「軍艦部の傷かい?ライカはね。そこに傷があってもいいんだ。きちんと使われていた証拠だからね。まがい物でない証拠さ。あんたがコレクターじゃ無くて、これをきちんと常用カメラとして使ってくれるのなら、軍艦の傷はお勧めだよ。」
店主はガラスケースから取り出し、セーム革の上に置いた。それが露出計を取り付ける時に付く傷だと知るのはしばらく経ってからの事だ。
はじめて手に取ったライカはもの凄く重かった。
「シャッターをきってごらん。フィルムが入っているけどね。」
促されるままにフィルムを巻き上げた。しかしシャッターが切れない。
「ダブルストロークだからね。もう一回巻いて。」
もう一回巻くとシャッターは切れた。切れたと言うより、”落ちた”という感じだ。クシュっという音がした。ボディの重さとの対比のせいか少し頼りない感じもした。
そのライカM3に挨拶に行くのが僕の毎朝の日課となった。(つづく)
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